宗教勧誘された話

先日、仏教系の新宗教(に見えた)に勧誘されたのでその時の記録と、私の宗教に対する考えを述べたいと思います。

勧誘された話

発端

その日の夕方、私は都内某所にいて帰路につこうと考えていたところでした。その時、男二人組が私に声をかけてきました。便宜上彼らをAとBとしておきましょう。どうやら彼らはその近くでラーメン屋に入ろうとしていて、美味しい店がないか私に尋ねてきました。私は、ラーメン屋は知らなかったので別の場所を勧めその店まで案内することにしました。
目的の店まで案内し終わった私は帰ろうとしました。すると彼らは、この後時間があるなら一緒に食事をしないかと誘ってきました。私は特に用事はなかったので了承しました。私はここ最近、旅行先で知らない人と食事をしたりバーで知らない人と話をしたりすることが多く、知らない人と行動することに対する警戒心が薄れていました。
さて、了承した後彼らはファミレスに入らないかと提案してきました。彼らは私の案内した店に入ろうとはしなかったのです。理由を尋ねると金銭を節約したいと言い、この店へはまた来た時に入ると言い出しました。私は不思議に思いましたがファミレスでも構わないですよと了承しました。その後に彼らは、都内の別の場所に移動しますが良いですかと尋ねて来ました。提案された場所はだいぶ離れていて私も行ったことがないような場所でした。なぜそこに移動しようとするのかも全くわかりませんでしたが、彼らの都合もあるのかもしれないと思い了承しました。
その後にAは友人の車で行くから、Bと共に電車で向かってくれと言われました。結局その車の友人も合わせ4人で食事をする事になりました。

さてここまででだいぶ不審な点があります。

  • 紹介した店に入ろうとしない
  • 金銭的に困っているのに飲食店を探している & ファミレスに入ろうとする
  • 全然関係ない場所で食事をしようとする
  • 二人のうちの片方が車で移動する

多分ここまで不審であると、普通の人はまずついていかないと思います。僕もかなり不審に思っていたのですが、自分が怪しい勧誘に引っかかるなど夢にも思っていなかったので、ほいほいついていってしまいました。
皆さん、怪しい人について行ってはいけないというママの言いつけは守りましょうね。

勧誘へ

私と彼らのうちの一人は移動し、ファミレスへ入店しました。私達は車で来ると言っていた二人組を待っていました。なかなか現れませんでしたがしばらく待っていたら、一人の男Cが私達の元へやってきました。BとCから事情を聞くと、Aは急遽用事で来れなくなり話を聞きつけたCが来たようです。その後私達は他愛もない会話をしながら食事をしていました。ちなみにここまで一切宗教的な話はされていません。
さて、私達の会話の内容は仕事の話へと切り替わっていきました。彼は仕事がうまくいくための秘訣を教えると言い出しました。私も最初は何を言い出すのかと思い興味津々でした。この辺は詳しいことは割愛しますが、彼は毎日、経を読むことであると言いました。そしてそのためには、一度本尊を見ておく必要があって、今日は私に本尊を見た上でやり方を知ってほしいと言ってきました。私はこのあたりで自分の置かれている状況を察しました。
彼は、彼らの宗教の凄さを説くと共にしきりに私にやり方を見てほしいと話してきました。やり方を見たら実践するかどうかは君次第だが、やり方だけは見てほしい、そのように私にしきりに勧めてきました。私はクリスチャンなので自分の信仰もあるからと断り続けましたが、聞く耳を持ってくれませんでした。トイレに行くふりをして店を出てしまおうかとも考えましたが、車で移動しファミレス店内に現れなかったAのことが頭にちらつき、余計な行動は控えようと考えました。
長い時間ごね続けてましたが彼も引く様子が見られなく、このままでは何も進展しないと思い、仕方なく彼らの集会場へ行って開放して貰おうと考えました。本尊を見るために名前や住所などの個人情報を提示する必要がありました。私はそれは嫌だったので勘弁願えないかと交渉しましたが断られてしまい、仕方なく了承しました。結局、電話番号や住所などをそっくり持っていかれてしまいました。

彼らの集会場で

彼らの集会場はファミレスのすぐ近くにありました。このための移動だったようです。彼らの案内に従い本尊の前に集まりました、数珠と小さい本を渡されたので、とりあえず見よう見まねで彼らと同様のポーズを取りました。
15分程度経を聞いていました。彼らの経を聞き終わった後、私はやっと開放されると思った矢先に、経を読んでいた人が私達の方振り返って、「今日入信の、〇〇さん(私の名前)…」と言い出しました。私は一切そんなこと聞かされてもいないし、了承した覚えもないので、とても動揺しました。自分の信仰にも関わることだったので流石にこのままじゃ帰れないと思い、経を読んでいた人に話をしようとしましたが、Cに、閉館時間も近いし自分が代わりに話を聞くと言われました。それじゃあまり意味がなかったので、経を読んでいた人も一緒に来てもらえないかと交渉しましたが、結局了承されることなく二人で話すことになりました。
彼は追加で何かを説明していたようですが、その時の私は聞く耳を持っていませんでした。ただ私は、経を読んでいた人が持っていた紙(入信の書類だと思われる)を破棄してもらうようにお願いしました。彼はそれに同意し私を駅まで送ってくれました。その日は、特に傷害を与えられることも金銭を取られることもなく無事に自宅へ帰えることができました。

今の所、訪問されたり電話されたりということは起きていません。
以上が当時の記録です。

宗教について

前述したとおり私はクリスチャン、つまりキリスト教(プロテスタント)を信じています。
そのため私は宗教についていくつか考えを持っています。いい機会なのでそれらをこの記事で述べたいと思います。

悪質な宗教

宗教は人類史の中でとても重要な文化です。人類文化の発展は宗教とともにあったと言っても過言ではないでしょう。
宗教は本来人にとって益をもたらすものであり、宗教への信仰を持つことは決して悪いことではないはずです。
ですが、近年では宗教に関連するトラブルが多く起こり人々に悪い印象も多く与えています。それは例えば、ある宗教を装ったテロ行為であるとかカルト宗教による人権問題であるとか様々です。
宗教というのは人々を同じ対象への信仰へと促し、同じ目標へ向かせるものです。それだけに、人々を動かしやすいので、金儲け等に悪用しやすいのでしょう。
また宗教は、科学のように妥当性を形式的に検証できるものでもありません。それが出来てしまうと信仰する意味がありません。それだけに自分が属している宗教が危険かどうかの判断も難しいのだと思います。

その宗教が危険かどうかは以下の判断基準である程度わかります。以下の点に当てはまるようであれば、近づかないのが無難です。

  • 入信を強要する
  • 献金を強要する
  • 集会への参加を強要する

また、キリスト教もたくさんの宗派があり、キリスト教を装った新興宗教もたくさんあります。
キリスト教を自称する宗教では、以下の点についてよく吟味してください。

伝統的なキリスト教会ではキリストを唯一の救い主とし信仰の対象とします。
キリストを否定したり、キリスト以外の信仰対象がいる場合は健全なキリスト教とは言えないでしょう。

キリスト教聖典は聖書です。私も詳しくはないのですが、宗派によっては聖典の内容は微妙に違うようです(参考: 聖書の成り立ちについて教えてください。)。
違いがあれど用いている聖典は聖書です。これ以外に聞いたこともないような書物を用いているならキリスト教としては不審です。

これらの話は結城浩先生の記事(聖書を読みたい・教会へ行きたい)を参考にしています。合わせてお読みください。

私が勧誘された宗教も、実情をよく知らないため危険かどうかは判断できません。もしかしたら、まともな信仰があるかも知れません。
しかし、私の宗教上の理由という意見を尊重する様子がなかった、勧誘に至る過程を周到に用意していた(私は受動的な誘拐だと思っている)にもかかわらず、「君が良い奴だからこの宗教を勧める」と言っていた、などの不審な点を顧みると、私にはとても良い宗教には見えませんでした。

自身が不審に思った宗教は近づくべきではありません。

宗教との向き合い方

この世にはたくさんの伝統的な宗教があります。ユダヤ教キリスト教イスラム教、神道、仏教、など。
たくさんの新興宗教やカルト宗教もあります。

これらを信仰するのはその人の自由です。それを第三者がむやみに妨げるべきではありません。
そしてもし何かの宗教に入信するときには、"自らの意思”で、"自身が本当に信仰できる(してもよい)"宗教に入信することが重要です。そうしないと自身のためにはなりません。
当然、何の宗教に属さないというのも良い選択だと思います。それが自身にとって納得がいくのであればです。

また、宗教への信仰を持たない人は、宗教をむやみに否定してはいけないと思います。信仰を持っている人も、他の宗教を否定するべきではありません。
しかし、人権問題に発展するような危険な宗教は別です。そのような組織は許してはいけない。

最後に

何度も書きますが、宗教を始める場合は自身が納得できる宗教を選んでください。
私は、キリスト教徒ですが他の人がどのような宗教に入っても良いと思っています(伝統的なキリスト教に入信してくれれば嬉しいですけど)。むしろ、すべての人が同じ宗教同じ宗派を信仰するというのは人間社会のあり方としていささか不健全ではないかとすら思います。
とにかく宗教が入信した人にとって害ではなく益をもたらしてくれることを望んでいます。

さて、長くなりましたがここまで読んでくださりありがとうございます。